整体おばさんが聖書を読んでみたら―11
この天国人と言われるのは、私の師なのだけれど、このおばさんは思うのよ。この年になって(いくつやろ~)、[我が師]と呼べる方に出会えるなんて、なんて幸せだろうと。
おせんべい、ポリポリ。ケーキ、ムシャクシャ。そんな毎日の老後はこの師との出会いで吹っ飛んでしまった~。hyu~
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼(イエス様)にあって歩みなさい。」って、偉~いパウロっていうイエス様のお弟子さんが言っている。
おばさんはイエス様を私の神様、主としたのだから、イエス様の中にいる<in Christ>として歩むと決めた、です!
このパウロって人は、死んでよみがえり天に昇られたイエス様に出会ってる人。
こんなドラマチックな出会いがあるか、と思うのよね~。
ちょっとだけ、お得意の脱線をしてそこの箇所をみてみようっと!
イエス様が十字架で死んで三日目によみがえり、天に行かれてあと、すごい聖霊の力で福音が広がっていったわけ。でも、ユダヤの中には反対する人もいて すご~い迫害があったのだけど、このパウロも、その頃はサウロという名前だったんだけど、迫害する人だった。
すごいパワーフルな人で、キリスト者を捕まえて牢に入れたりするのに🔥燃えていて、ダマスコって所に向かっていたその時!
なんと、なんと、よみがえって天に昇られたイエス様がこのサウロ(のちのパウロ)に声をかけられる!
「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒の働き9:3~6)
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」って言われる「わたし」って誰?それは、イエス様!
サウロは別にイエス様をいじめていたわけでないし、イエス様がまだ地上におられたときには会っていないのよ。使徒たちが活躍しだしたとき、クリスチャンになった人をいじめていただけなのに、それなのにイエス様は「なぜわたしを迫害するのか。」と言われるのよ。
クリスチャンをいじめている気だったのに、実はサウロがいじめていたのは神であるイエス様だったというのよ! すごくない? 驚きだ~。
私をいじめたり、揶揄するならイエス様に言いつけてやる!(いい年こいて子供か!)
おばさんは、ちゃんとイエス様が「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイの福音書5章44節)って言われたのを知ってるし~。
周りの人をいじめません、家族もいじめません、ちょっといたずらするだけです。m(_ _)m
さてさて、脱線から戻って聖書を見ていこう!
なぜ、我が師は生きていて天国人と言われるのか。
不思議な言葉だ。このわけがわかったら、あなたも私も天国人! ハレルヤ!
「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」(エペソ4章5節)
どういう意味だろう~???
「主は一つ」
ここに神様、ありがたや~。あそこにも、神様、ありがたや~。じゃない!
天地を造った神様はおひとかた。被造物は神にはなれない。
私の主は、天地を造った真の神様。私自身が主となる人生でもない!
「神様、あなたが我が主です!」
「信仰」
それは自分の力で信じる力、そうなのか?ならここに百人のクリスチャンがいてそれぞれの力で神様を信じているなら百の信仰ってこと、信仰っていっぱいあるんだ~。そうでないだろ~。
聖書はなんて言っているのかな?
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ人への手紙2章8節)
私達がイエス様を信じます、イエス様を主とします。イエス様が十字架で死んで三日目に蘇られたことを信じますと告白して、救われる。ふむふむ。
それは信仰によって告白するのだけれど、その信仰って、誰の信仰?
あなたは私とは違うよね。違う人がそれぞれ違う信仰で救われるのかな?
赤と黄色と白と青。なんでもオッケイ? そんなもんなのかな~。
よ~くみてみようね~。
どう書いてあるかな?
「それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」
なんとなんと、信仰は、神様からのプレゼントって書いてある! なんてことだ!
だから、だから、神を信じる信仰はひとつなんだね~。私が頑張って信じるのではないって! すごい!やったね! 神様が信じる力をくださる! 楽ちんだ。
「バプテスマは一つ」
今日はこのバプテスマについて腕まくりして見ていきたいと思うおばさんです。
え?「バプテスマ」、なにそれ?
バプテスマってどっぷり浸すって意味らしいのだけど、どこに浸すのか?
たった「バプテスマ」って一言なんだけど、意味深いよ~。
クリスチャンのあなた、「これは洗礼よ!」って教えてくれてる?
我が師は教えてくださる。バプテスマは3つ。
知ってる?
新生(しんせい)のバプテスマ。水のバプテスマ。聖霊のバプテスマ。
イエス様を自分の神様、救い主としてお迎えすると、この新生のバプテスマを受けたということ。
なにそれ?きいたことないというクリスチャンも居ると思うのよ~。その昔、私もそうだったからね。
「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。」(コロサイ人への手紙2章12節)
このバプテスマって、私が知っていた水のバプテスマでないって、我が師は言われる。
頭の中がくしゃくしゃになるよね。
もし、あなたが今頭の中がくしゃくしゃになってくれているなら、それは真剣に読んでくれているからよ! ありがとう❤(ӦvӦ。)
前にも言ったよね、アダムとイブが善悪を知る木の実を食べて、天地を造った神様、真の神様を神とせず、サタンを神としてしまったって。
その時、私達の霊が神様と遮断されて、神様のエネルギーが流れて来ない状態。霊が死んだ状態だったわけ。それも知らずにオギャ~と生まれて死んでいく運命だったわけね。
でも恵みによって、イエス様を主としたとき、新しく霊が生まれる=新生のバプテスマを受けたってこと。
それによって死んでいた私の霊が神様にコンセントを入れて、神様のエネルギーが流れてくる状態になったわけ。あぎじゃびよ~(・・)
どこが変わったかと言うと、昨日の自分も今日の自分もいじわるばあさんの風貌のまま。がはは。だって、見えない世界、霊の世界のことだもの。
地の底に落とされるサタンの支配下から、天国に住む者とされるってこと。
これが新生のバプテスマ状態。
じゃ、水のバプテスマはなによね。
これは、イエス様を信じた決意の現れとして受けるものだと教わった、です。
霊の世界の変化は目に見えない世界のできごと。水のバプテスマは現実の世界で洗礼を受けたとわかるもの。
もう一つ霊の世界のバプテスマがある。それが聖霊のバプテスマ。
新生のバプテスマのパワーが泉のパワーなら、聖霊のバプテスマは川のパワーだと我が師は教えてくださる。
泉は材木を持ち上げることができるけど、川はその材木を運ぶ力を持っている。
でもね、まずはなにより神様コンセントをいれることからすべてが始まる!
コンセントを入れないかぎり、霊がズ~と死んでいる状態だから天国人になれっこない!
「なぜなら、もし①あなたの口でイエスを主と告白し、
②あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、(その結果)あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙10章9、10節)
イエス様を主と告白して、復活のキリストを心に信じて義とされて口で告白して救われた私。
もし、あなたが「自分はだめだ、これから先どうなるのかな、死んだらどうなるんだろう、どうせ いつかは死ぬのだから」そんなことを思っているなら、それはサタンから来る思考だよ。
宗教を信じたい人は「わらをも掴む」「鰯の頭も信心から」だからね~って思っている?
ちゃいまんねん。おばさんは明言します!
「まさしく、真理はイエスにあるのですから。」(エペソ人への手紙4:21)
イエス様を信じたから、恵みで、サタンの支配下にあった、つまり地の底に行く運命だった私がイエス様の中に入れられて霊の世界ではもう天にいるわけ。だから天と地がひっくり返ったというわけよ。
すごいことだよ。目をカッピラいて(おばさん用語はわからないね~、with your eyes wide open.) 読んでよ。
「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ人への手紙2章6節)
イエス様を信じた者は、この地上で生活しているのだけれど、霊は、イエス様といっしょに天の所にすわっている状態。
それをしっかり味わっているのが我が師! だから、天国人。
私もそこに座っているけれどね~。うふふ
「ともによみがえらせ」 なにそれ?だよね。
クリスチャンであってもよみがえった感なし。フムフム。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ人への手紙2章20節)
いっぱい悪いことした私、いっぱい神様に反逆した私、サタンとお友達だった私、嘘つきばあさん、いじわるばあさんの私(いつからおばさんからばあさんになったかね~)は、イエス様を信じたとき、イエス様といっしょに十字架について、磔(ハリツケ)られたのだな~。
十字架に磔られたのだから、私は死んじゃったってことよね。
でも息してるし~。
つまり、サタンの支配下にあって地の底に行くべき私は死んじゃったってことかな。
そしたらどうなる?
死んじゃったのなら、罪深い私は生きていない。私、いい人! wow
肉体は生きていて この地上で毎日の生活をしているのだけれど、サタンとお友達だった私は死んじゃって、霊が新しくされた私の中で生きているのは、なんと!なんと!神の子であるイエス様。なんてこった! あっさみよ~。
二千年前にこの地に肉体を持ってきてくださった神の子であるイエス様は、サタンの支配下にあって地獄に行く運命の私達の罪のために、身代わりとなって十字架に架かって、死んで地獄にくだり、三日目によみがえられた。それを信じた私達は、「キリストが私のうちに生きておられるのです。」
なんということでしょう~。before & after
天に昇られたイエス様が、天にもおられ、この地上で私達クリスチャンのうちに住まわれている。この程の天地がひっくり返ることがあるかな~。
まさしく、私の霊のうちで天地はひっくり返った! 地上にいながら天にいるんだから!
まだまだ続くよ~、天国人の話。
待っててね~。期待してね~。別にどうでもいいよ、なんて言わないで~。
おばさん、傷つきやすいから。ガハハ。
私はただの一信徒。しっかり福音を知りたい方は
God bless you! See you again.
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